シマノレーシングのジェネラルマネージャー今西尚志氏、同スポーツディレクターの栗村修氏による講演会が立命館大学自転車競技部創部60周年を記念して行われた。題して「世界を目指す若きサイクリストへのメッセージ ~ツール・ド・フランスを走る選手たちの姿~」。講演の内容をダイジェストでお伝えする。


別府史之、新城幸也のツールドフランス出場

今西尚志・栗村修氏今西尚志・栗村修氏 photo:Akihiro.NAKAO今西氏はシマノレーシングでの競技選手の引退後、コーチとしてシマノ・メモリーコープ~スキル・シマノと経験を積んだ。そして今夏、別府史之選手と共にツール・ド・フランスに参戦した。シマノレーシングの舞台裏を支える氏がその経験をもとに、これから自転車選手を目指す若者たちへ、その心構えを伝えた。

今西「戦後の近代ツールとしては史上2・3人目の選手として別府史之、新城幸也選手が出場しました。別府選手の日本人としての初完走、ステージ7位と8位、そして最終ステージのシャンゼリゼでは逃げて敢闘賞を獲った。このあたり、栗村さんは日本で実況を見ていてどうでしたか?」

会場の立命館大学朱雀校舎会場の立命館大学朱雀校舎 photo:Akihiro.NAKAO栗村「私は毎年ツールの実況をしていますが、日本人二人が出場するのが実感が湧かないというか、かなり驚きました。ツールはプロのレースの中でも飛び抜けてレベルが高い。別府選手はツールの前のコンデションはあまり良くなかったので、じつのところ完走は難しいのではないか、という印象でした。

しかし、レースが始まると徐々に調子を上げ、ステージ7位という結果を挙げます。総合優勝したコンタドールが遅れる中、絞られた先頭に残りゴールするシーンを見て、本当に鳥肌が立ちました。まるで合成映像を見るかのような衝撃的な映像でした。

敢闘賞を獲った時には、不覚にも放送時に涙しました。それくらいの歴史的瞬間でした。実際現場にいた今西さんは、現地の報道を含めてどうでしたか?」

今西「初めてチームスタッフとしてツールに行ったのですが、まず完走できるのか? 日本人が久しぶりに出場したといっても、正直期待はしていなかった。『頼むから完走だけはしてくれよ』みたいな話しの雰囲気でした。

最初は、アジア人ということで報道陣が集まって来たのですが、別府選手がだんだん調子を上げて行って、今度は違った意味で各国の報道陣が集まって来て、凄い注目度でした。最後の敢闘賞については、現地で見ていて、これぐらいは(当然)するだろう、と思いました。彼の毎日の成長を見て、おかしくはないな、と冷静に見ていました」


アテネ五輪予選会での大敗から、世界へ

シマノ・メモリーコープシマノ・メモリーコープ photo:Makoto Ayano今西「2004年にアテネ五輪の予選会があって、その時ブリヂストン・アンカーに大敗(優勝は田代恭崇)してしまった。結果的には2位(鈴木真理)でシマノレーシングもアテネには行けましたが、1位には3分以上離されました。

当時のブリヂストン・アンカーは、現在エキップアサダ(EQA・梅丹本舗・グラファイトデザイン)の浅田顕監督が指揮を執ってヨーロッパに行っていました。ヨーロッパ遠征が予選会の結果に繋がっていました。

狩野智也、野寺秀徳、ルディ・ケムナ、山本雅道(当時シマノメモリーコープ)狩野智也、野寺秀徳、ルディ・ケムナ、山本雅道(当時シマノメモリーコープ) photo:Makoto Ayano負けた瞬間に『我々もヨーロッパに行かないと勝負にならない』と思い、私が引退してから、会社に、『なんとかヨーロッパに活動の拠点を持てないか』と談判して何人かをヨーロッパに送る事にしていましたが、急遽オランダのプロチームと合併する事になりました。その時のチームがシマノ・メモリーコープです。私はコーチ1年目として言葉も分からぬまま、1月から何人かの日本人選手を連れて行く事となりました」

栗村「スタッフとして1年目では結構無茶です。国内のスタッフ業務としての経験も無いまま、英語も話せないのに、一流のプロチームの選手に指示を出す部署についたという事ですよね。」

今西「向うで有名なセミクラシックレースの監督会議が自分の初めての監督会議でした。ヘットホルクという大きいレースが最初で、サポートカーを運転したのも最初でした。向うのベテランのコーチの元で勉強しながら、選手も大変苦労したし、私自身、戸惑いもありました」

栗村「だいぶ無理な形でスタートしましたが、思いは一つで、アテネ五輪予選会での大敗が原因でした。国内の活動だけでは世界には近づけないという事で、無茶をしながら、ここから夢と現実のギャップを当時の今西さんが感じ、それ以上に、アジアで一流の成績を残すシマノの選手達も、壁にぶち当たっていく姿を見る事になります」


弱音を吐く選手たち

今西尚志スキル・シマノコーチ、シマノレーシングジェネラルマネージャー今西尚志スキル・シマノコーチ、シマノレーシングジェネラルマネージャー photo:Akihiro.NAKAO今西「身体能力の高い選手たちに環境さえ与えれば活躍するだろう、と思いましたが、ヨーロッパのレースに全く対応できない。スピードが速い、横風があったり、過酷な気候、不慣れな石畳、集団での走行も技術がいるもので、落車をしたりとか。日本でトップの選手がスタート5kmで切れてしまう。こういった状態が続き、選手自身ストレスが溜まる毎日が続きました。

私は少し遅れてヨーロッパ入りをしましたが、選手が「本場は良いです」みたいな事を言ってくれるかなぁ、と思っていたのです。でも、到着していきなり「帰りたい」と言われて、夜中までやけ酒を呑んでいました。私も辞めろとは言えず、無理に環境に突っ込むだけではダメだな、と反省しました」

栗村「さらに高みに登るプロジェクトとして始めたことが、結果的に選手が心身共にボロボロになっていき、その結果モチベーションも下がり、そして猜疑心も生まれる。その当時のシマノ・メモリーコープの監督が非常に厳しい方で、日本人選手に投げかけた言葉がありました」

今西「ヨーロッパは進んでいて、効率のいい練習をして、日本独特の根性論みたいなのは遅れていると思っていました。しかし、向うで言われたのは....『メンタルが弱い』 『お前らサムライの国から来たんじゃないのか』 『雨が降っていたからだって? 雨は皆に降っていたんだ』と。

『お前のここがおかしい』と、頭に指を指されるくらいでした。頭を切り替えなくてはいけないと、さんざん言われました。私は日本人選手にできるだけ日本と同じ環境を作ろうと、レース以外は障害が無いように考えていました。けれど、それは『甘い』と。『ヨーロッパの規則に従え』と言われました。

そして、『ロードレースは辛いものなんだ。雪が降ろうが、転けようが、それは一部なんだ』と。ボクシングで殴られても『痛いのでやめます』と言わないように、道が危険で転けて痛くても走るのがロードレースなんです」。


痛みは美しい

栗村修シマノレーシングスポーツディレクター栗村修シマノレーシングスポーツディレクター photo:Akihiro.NAKAO栗村「自転車は格闘技であって、痛いのはつきものだ、と。『Pain is Beautiful(痛みは美しい)』という言葉が出てきます。日本の選手たちも超一流の選手たちなので、厳しいトレーニングをしてきても、現地で目にしたものはとても厳しい環境で行われている。

選手たちもヨーロッパでやるならば、格闘家としてゼロからチャレンジする心の準備ができていなかったと、改めて知ったという事です。では、第二の別府や新城を生むには、どうしたらいいのでしょうか?」

今西「メンタルがあってこそ辛いトレーニングも耐えられる。レースも走れる。ここで三つの要素を考えました。鈍感力、順応力、自信です。

鈍感力とは...。図太い神経を持ちなさい。痛みに対しても周りに対してもレースで気を遣えばゴール前の位置取りもできない。

順応力とは...。ヨーロッパに行くなら外人になれ、と。過去の日本の事は忘れなさい。自信は自分で限界を作ってはダメです。身の程知らずのほうがいいのです」

栗村「これで19歳くらいの若者がいたら付き合いづらいとは思いますが、世界で戦うならこれぐらいなところがないとやってけないですね。ヨーロッパは伝統的に国と国との戦いがあるから、我々が考える以上にナショナリズムがあります。
いち東洋人がその中に入ってポジションを切り拓いていく。土井選手がチームタイムトライアルを走っている写真があります。周りはチームメイトですが、全てライバルです。みんな土井選手を潰そうと思っています。ですから今年土井選手はツールに出られませんでしたが、他のメンバーをたたき落とさなければツールには出られません。上のチームに上がりたければ、強くならなくてはなりません」

今西「先に上げた三つの要素は、頭がフレッシュなうちに実行したい。国内で強いと言われたベテラン選手がヨーロッパに行くとプライドが捨てられない。適応できないので、早く海外に行った方が良いのはそのためです。ただ、日本で走れないなら行っても無駄です」


別府選手の強さ

三つの要素三つの要素 photo:Akihiro.NAKAO栗村「別府選手の見た感じのイメージは、非常に繊細さを持っていて、日本人的な調和を取るところもあります。彼自身、悩みながらも三つの要素をヨーロッパで選手と渡り合いながら作って、メンタルを鍛えていったと思います。実際、別府選手はどうでしたか?」

今西「彼と話してみると、昔から痛みに強かったというのがあって、子供の頃に骨が折れていても気づかなかったりとか、生まれつきの部分もあります。彼は高校を出てすぐにフランスのアマチュア名門チーム(ラポム・マルセイユ)に入り、他国の選手達と共同生活をする。

別府史之(スキル・シマノ)別府史之(スキル・シマノ) photo:Makoto Ayanoそこではみんな命をかけてヨーロッパに出て来て、『生活する為にプロになって生きていくんだ』という選手ばかりだったらしいです。人より強くなりたいという世界の中で、日本人というハンデもありながら乗り越えて実力をつけて来た。彼はスマートですが、痛みに強くて。

エピソードとして、全日本選手権U23大会の前に、フランスでの練習中に顔から転倒したんです。溝に嵌って顔がぼこぼこに腫れ、気づいたらベッドの上でした。ただ、何週間後かに全日本選手権があるので練習しないといけない。医者が絶対止めておけという状況の中、顔に包帯を巻いて、顔が凄く腫れたまま、周りが止めても練習していたという逸話があります。

その時、彼は『自分は死んでもいい、自転車競技に命をかけているんだ』とトレーニングをして、見事U23で優勝しました。彼はヨーロッパで自分の強さを磨いたと思いました」

栗村「今年のツールにしても、終わった後のインタビューで『前半はプロ生活の中で絶不調だった。でもツールで前向きにならないといけない』と切り替えて、敢闘賞を獲得した。成功した選手の一人だと思います」

今西「彼の強さには、粘り強さもあります。完走できるのか?と最初は思いましたが、彼はのほほんとして、ツールで走る21日間は、笑いながら、ステージを重ねる毎に『練習になってきました』と言うくらいでした」

栗村「グランツールはかつて、『20代の選手が一度走ると選手生命が終わる』と言われるくらい厳しいものでした。そんなレースでトレーニングできる別府選手は、レベルの高さとともに精神的土台があると言えるでしょう」

今西「彼に『何を考えて走っていた』と聞いたら『後先考えずにペダルを踏む、細かい事を考えないで勝つ為に踏むんだ』と言ってましたね」

栗村「びっくりしますよね、科学的トレーニングと言われる時代に」

今西「秘訣みたいなのを期待されていると思いますが、純粋な言葉だったのです」


土井雪広の成長

最後は根性最後は根性 photo:Akihiro.NAKAO栗村「土井選手はシマノレーシングの生え抜きで、別府選手は元々ディスカバリーチャンネルでキャリアがありましたので、助っ人的に加入しました。

海外に選手を連れて行き、戸惑って帰った選手が多くいるなか、土井は唯一生き残った選手です。ここにたどり着くまでにはチームを辞めようと思ったり、大きな怪我をしたり、苦しみながらここに来た。それを表には出さないけれど、今年、中国のレースでは骨折しながらも走っていました。彼は、精神的に弱い部分もあった頃からどう変わりましたか?」

土井雪広(スキル・シマノ)土井雪広(スキル・シマノ) photo:Cor Vos今西「別府と土井は高校時代からライバルで、高校卒業後、土井選手は法政大学で走りながら『ここに居ていいのか』というジレンマと闘いながら、すぐにインカレで優勝しました。

大学を辞めてシマノレーシングに入りたい、と来てくれ、次の年にはヨーロッパに行きました。ですが、本当に彼は全然走れなくて。身内だから言えますが、生意気で自信過剰なところもありました。でも走れない。

向うで天気が悪いと練習ができない、コーチの僕に練習を頼むほどでした。それぐらいどん底でした。彼に『ここまでなぜ耐えられた?』と尋ねたら、『強い意志と精神力だ』と。

外人には負けない。日本人だと思うと弱くなってしまう。また彼は精神的に痛みに強く、ほとんどやせ我慢で、レースで落車して骨を折ったときでも、『大丈夫か?』と声をかけましたが、『大丈夫、明日には直ります』と言うので、次のステージを走ったら痛いと言う。レントゲンを撮ったら骨は折れていました。それぐらいの負けず嫌いでここまでこられた。今では英語も喋れるようになりました。強い精神力があったからです」

栗村「彼も最先端の科学的トレーニングを行っていますが、トレーニングはどの選手も行っているのでアドバンテージになりえない。プロはレースを走って如何に強くなるか。自分が好きな練習をするのではなくて、次から次に来る厳しいレースをこなしながら強くなるかが基準です。フィジカルを鍛える部分は、プロになると、ごく一部の独自で動けるトップ選手以外は皆、レースという名のトレーニングの中で生き残りをかけて闘う。

毎千何百という選手が入れ替わるわけです。やはり残るには精神力がいるわけで、まさに弱肉強食の世界です。別府選手と土井選手は、ここまで精神力で生き残れたのです」


最後は根性

シマノメモリーコープ時代のチーム首脳陣シマノメモリーコープ時代のチーム首脳陣 photo:Makoto Ayano今西「シマノ・メモリーコープの元監督が言った言葉ですが(画面に「根性」)、速くなる練習をするには、根性です」

栗村「もともと今西が根性論の人で、簡単な言葉で逃げているというイメージを持ちかねませんが、私も彼の現役時代に一緒にレースを戦って来て、実際は根性論大嫌いで、科学的トレーニングであったりサプリメントも考えて摂ったりと、理論的なトレーニングをして強くなりたいと考えていました。

そんな彼が結局ここに辿り着いているので、本当にこれなんだな、と感じました。私もヨーロッパに行きましたが、ツールレベルには行けませんでした。そんな私が聞いて新鮮な気持ちになりました。

日本人には"サムライ魂"という根性論があり、攻撃的な血が流れていると思います。ヨーロッパに行って"郷に入るなら郷に従え"というなかでサムライ魂を持つのが最終的なところではないかと思います。この言葉が一番しっくり来る、という事ですよね」

今西「向うでは自転車競技が文化になっています。華やかな部分が取り上げられていますが、走っている選手はもの凄いプライドを持って走っています。オランダのチャンピオンと話しましたが、『お金は全然貰えない。普通のサラリーマンよりも低い』と。ただ『自転車選手という地位が僕を支えている。だからお金が無くたって皆が尊敬の眼差しで見てくれる』と。

そんな文化がない日本から飛び出すには、皆さんにはある程度の覚悟を持って挑戦して欲しい。私はシマノレーシングとスキル・シマノの橋渡しをしながら待っていますので、第二の別府・新城・土井を目指して欲しいと思います」


- 経歴 -

今西尚志

1969.5/10生まれ 京都府出身

1989年 同志社大学商学部入学
1991年 インカレロード3位
1993年(株)シマノ入社 シマノレーシングに所属
1995年 ツールド北海道ステージ1位
1997年 全日本選手権ロード3位
    ツアーオブジャパン個人総合18位(日本人1位)
2004年 現役引退
2005年 シマノ・メモリーコープコーチ就任
現在はスキル・シマノコーチ及びシマノレーシングジェネラルマネージャー

栗村修
1971.12/30生まれ 神奈川県出身
高校中退後フランスに留学。
1996年 シマノレーシングに所属
1998年 ポーランドのプロチーム「ムロズ」に所属
2000年 ミヤタ・スバルレーシングチームに所属
2001年 現役引退
2002年 ミヤタ・スバル監督
2008年 スキル・シマノスポーツディレクター
現在はシマノレーシングスポーツディレクター


text:Akihiro.NAKAO
photo:Akihiro.NAKAO, Makoto Ayano, CorVos

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